常習

妻は今日も仕事なので(昨夜は一時間おきに息子に起こされたというのに、なんという体力だろう)、私が家で息子の世話。苦労する。

私は弱音を吐いているが、実際は私に弱音を吐く権利は無い。まして人に読ませるなど。好きだからやってる、単なる悪癖だ。何故ならば、と考えて、何故ならばと考える事も虚しく思える。ただ、結果としてやるなり倒れるなり、それしかないのだ。

『何事かが常習になっているということは、その事柄のばかばかしさと関係しているのが普通である。あっと目を見張るような事柄は、概して突発的にしかおこなわれない』―「失われた時を求めて」:「囚われの女」より

年賀状を、今頃宛名書き。