すべて明るいほんとうの日射し(1)

 L.Aはふたつあって、遠い方のひとつはよく知られているロス・アンゼルス。もうひとつは近い方、D大K学部附属K高校、略称K校の屋上だ。屋上イコール空が青い、空が青いイコール、ロス、L.Aという馬鹿で短絡的な言い回しを慶たちは愛した。慶か宗介か、その悪友たちの誰かが、晴天の昼休みに一番富士山がよくみえる東棟の屋上で昼飯を食べる時に、「L.A行くか」と言い出したのが語源だ。
 夏が終わろうとしていた。L.Aには宮佐古慶と室地宗介がいる。二人とも不良ではないから屋上で食後の一服はしない。もっとも慶は誰もいない時間帯の家庭科室ですることにしていたが。「で、L.Aはどうだった?」宗介に尋ねられ、慶はすぐさま「どっちの?」とにやにやしながら聞き返す。「遠い方のだが」宗介は背が慶よりも5センチぐらい高かった。つまり180センチ以上ぐらいということか。直立したまま、眼鏡の奥でじっと眼をこらし富士山をみつめていた。つまらないジョークの餌を自分でまいておきながら、後は黙殺するいつもの宗介のやり方だ。
「乞食が怖かったよ」
「具体的には?」
「ロスって空っぽの町なんだ。町の中心部に行っても、車は走っているしビルは建っているけど誰も歩いていない。そんな場所で一人置き去りにされて、日本では考えられないぐらい派手な服装と悪臭をはなつ乞食が、紙コップを持って近づいてくるんだ。もちろん無視するし避けるさ。でも何度も同じ場所を回ってくるんだ。こっちは親父達の車が拾ってくれるのを待っているからそこからは離れられないし。あれは怖かった」
 慶は高校2年のこの夏、叔父の住むロスに家族旅行をした。もう家族旅行なんてする歳でもないだろと思ったし、ディズニーランドにも興味は無かったが、美術が好きで美大受験を志望している慶は、美術館だけは観たかった。ゆっくりモダン・ミュージアムで鑑賞する慶を一人残して家族は3時間後にこの噴水の正面の道沿いで、と約束してショッピング・モールに行った。その時の話だ。
 「他にも、渋滞している車の間をテクテク歩いてくる乞食や、ビーチのベンチに座っているカップル一組一組に声をかける乞食やら、色々いた。でも、誰もいない街の真ん中の乞食が一番ぞっとした。だって、俺とあいつと二人しかいないんだよ、本当に。あんなにでかい街なのに」
「ある意味笑えるなそれ。それで、先輩は元気?」
 先輩というのは慶の二つ上の姉の宮佐古琴子の事だ。今では東京で気楽な大学生活を送っている。同じ高校の卒業生で、宗介はアーチェリー部で後輩だったから今でも律儀に先輩と呼ぶならわしだ。琴子と慶は仲が良いがそれほど親しくはないといったぐらいの関係だ。小さな頃は慶は琴子にべったりだったようだが、歳をとれば自然と気恥ずかしさで距離を置く。
「元気だよもちろん。ずっとさ。琴子って頭のねじがはずれてんのかってぐらい何を見てもワァーだのキャーだのスゴイだの。奴はヴィトンの財布を買ってたよ。親父のカードで」そういう慶も、ヴィンテージのリーバイスのジャケットをファッション雑誌で予め調べておいた古着屋で買っていたのだ。もちろん親の財布で。父も母もなんでこんなボロが600ドルもするのか理解しかねるという顔つきだったが、金銭については子供達に甘過ぎた。
宗介はため息をつきながら「相変わらずかね」
「そうねーあれは基本的に、うん」
 慶はふいに何かを思いだしたかのように言う「コバルトブルーライト。そんだけ」
「何が?」眼鏡をずりあげ、男にしては長い睫をしばたかせながら、怪訝そうに宗介は尋ねる。
「L.Aの空の色。夕暮れは燃え上がるようでその中にパームツリーがドンドンって感じだったけれど、昼はスモッグか何かのせいでひどく単調な色なんだよ。そのぶんからっとしていて良いって気持ちもあるんだが」「やっぱり日本のさぁ、S県の空ってのはひと味違うんだよ。油絵の具でも水彩でもパステルでもなかなか出せない色で、難しいんだ」慶は興にのった時の癖で、髪の毛をくしゃくしゃとかきむしる。
「まぁ、S県の空の色は美大の試験には出ないと思うけどね」
「空の色とか、草の匂いとか、表現しきれないものがあると胸がわーっといっぱいになってそのまま仰向けになって死んだように感じたまま、感じるままで自分がいなくなればいい、とかそういうふうによく思うんだけど、分からない?時々凄く感じるんだ。そんなふうに。あ、やっぱいいや。回答しなくて」
午後の始業を告げる放送が鳴る。慶は上履きをはき直す。宗介は午後の音楽の授業のアベマリアのバスのパートを「予習だよ」と笑いながら大声で歌いながら階段口へ向かう。