その朝

その朝は目が覚めたが、体が動かない。動けないまま時間が過ぎる。枕元に置いて貰った紅茶が冷めていく。あと30分で出なければならない。出た。もうどうでもいいから出た。

あまり憶えて無い。私が自死しない理由は、今死んでもまだ残された家族に保険金がおりないという責任感、自分のプライドもあるが、それより生き続ける事で、これから先に何かまだあるのではないかという未練、今まではそう思っていた。

しかしここに至ると、生への執着、未練の事等想像する余地が無い。逆に軽視していた単なるプライド、意地が、思いのほか抑止力になる事が分かった。追い詰められると、自分の頭の中はからっぽになる(ぐるぐる回るのも脳細胞が死滅する感覚も、からっぽと何も変わりがない)。

ただ極めて単純な指針、「子供を送り届ける」「仕事に行く」「金を残す事が夫としての最低限の使命」それに殉ずることで判断を一時でも放棄したいという弱気しか残らない。自分は消し飛んでいる。ただ、ただ、冷たい風を冷たいと感じる。ただ、苦痛を苦痛として感じる。

妻は仕事で遅くなるので、夜、息子の相手。寝つかないので添い寝する。眠ってしまったうちに妻が帰って来て、私の頬を撫でた。全てが苦痛だったその日、その時だけが心休まる瞬間だった。