「ベロニカは死ぬ事にした」

午前1時ぐらいにさっさと寝てしまった。朝9時頃起床。あとで飲もうと思ってたマルゴーは空になってた。家主は長野にドーム型の蒸し風呂みたいなとこでやる儀式(説明を聞いたがよう分からなかった。なんかのアシュラムみたいなのか?)に出かけたので、裏山を散歩して朝食を食べて、新宿のロスアプソンにフライヤ置いて帰宅。

家主の本棚から「ベロニカは死ぬ事にした」勝手に拝借して、読了。「人は人、自分は自分」というお話。『人が自分の本質に逆らうのは、人と違ってもいいという勇気に欠けるからで、そうしたら憂鬱にとらわれるんだ』
自分がどういう人間であるのか気づくのには時間がかかる、というよりも、どういう人間になるのか、固定されるまでに殆どの人間は一生の前半を使う。後になって文句を言っても遅い。そして、どんなに自分と折り合いの悪い様に見える人間でも、なんとか間に合わせの自己正当化をするだけの言い訳を、一つや二つは用意しているものだ。そして、それは責められるべきでは無い、愛すべき人間的な弱さである。

「自分を肯定する」という話になると、どうしても福本伸行の「天」を思い出すのだが、「大多数の人間を苦しめている普通であらねばならないという幻想」、ってやつ、それは私の場合は何か違う気がする。自分の好きに生きているつもりなのだが、どうにも楽しめないのだから始末が悪い。